ドラゴンボートの歴史的な背景
中国では古代から、雨乞いを祈願する宗教的な儀式に龍舟(ドラゴンボート)が使用されていました。さらに、紀元前1世紀ごろの雄大な戦士であり詩人の屈源が、当時の腐敗した政治に抗議のために汨羅江で入水自殺を図りました。この犠牲を弔い後世への伝承として、祭事として発達したのがドラゴンボート競技の元となっています。その後、中国の文化としてドラゴンボート大会は中国全土に広がりました。
「龍」つまり「ドラゴン」は中国の国のシンボルでもあります。中国で発祥したドラゴンボートは中国の龍の文化を形象化しており、龍頭と龍尾と龍模様からなる船体と、パドルは龍の爪を表わしています。また、8人漕ぎから、100人漕ぎまで様々な龍舟があり、競技距離も2百mから2千m以上までの大会と多岐にわたり、その競技は、強さだけではなく忍耐力、技術、そして全漕ぎ手のシンクロするハーモ ニーが、大きな魅力となっています。
香港とドラゴンボートの発展
香港は、近代ドラゴンボートの国際大会の発祥地であり、競技としてのドラゴンボートの将来への担い手として世界の注目を集めています。
1976年、香港観光協会が初めて国際開催を開催し、香港からは漁業民が9チーム、また長崎から1チームが参加しました。それ以降、年を追うごとに参加チームが増え、大規模な大会へと成長しました。2012年にはドラゴンボート国際大会と世界ドラゴンボート選手権大会が合同開催され、香港における過去最大のスポーツイベントとなりました。
1976年の香港で始まった国際大会は、世界各国からの参戦が増え名実ともに唯一の国際大会として発展していきました。国際大会を経験した世界各国チームは帰国後、各地でドラゴンボート協会を設立、後にヨーロッパ・ドラゴンボート・フェデラレーション(EDBF)、1991年にはインターナショナル・ドラゴンボート・フェデラレーション(IDBF)、アジア・ドラゴンボート・フェデラレーション(ADBF)が発足しました。この3つの団体は、世界60カ国以上のドラゴンボート競技会を実施しています。
IDBF創立後、早々とドラゴンボートは世界へ広まり、1976年の香港での国際大会を始まりとして、ドラゴンボートはスポーツ競技として近代化を遂げました。中国では5千万人以上、イギリス、チェコ、ハンガリー、ポーランド、ロシアを含むヨーロッパでは30万人、カナダ、アメリカの北米は9万人、他オーストラリア、ニュージーランドのオセアニア、カリブ諸国、アフリカへと競技人口は広がりを見せています。
IDBF、 ADBF、 EDBF主催により、各国代表からなる世界大会を毎年開催しています。また、北米選手権など世界規模の競技活動を行っています。 それはすべて1976年の香港の国際大会が原点です。舵、ドラマーを含めた22人からなる団体競技は、個人の能力のみならずチームとしての調和と豊富な練習量によるチームスピリット、協調性が大事な要素です。もちろん競技性の高い大会だけではなく、各地のお祭りや交流会の行事または、リクレーションとして、経験がなくても楽しめるイベントとして、ドラゴンボートは広く親しまれています。
スタンレーは、昔は小さな漁村であり、端午節を祝う漁民の祭事としてドラゴンボート大会が1644年からありました。1960年頃からが外国人チームが参加するようになり、70年代は漁民対外国人チームという形式の大会になりましたが、常に漁民チームが勝つため、1975年には漁民と外国人チームは別部門で分かれて競技をすることになりました。外国人チーム部門では独自に女子チーム部門の競技を開催しました。当時は舵、ドラマーを含む24人乗りでしたが、体重の重い外国人は、22人に制限をし、その後国際基準に統一されました。
1997年には外国人の参加チームが増えたことから、漁民チームとは別の日に開催するようになりました。そして2013年は、250チーム5千人のパドラーが端午節にスタンレービーチに集結する、端午節香港最大のドラゴンボート大会に成長しました。
私達、香港日本龍は、これら歴史ある香港のドラゴンボートの2大大会、国際大会およびスタンレー大会に毎年参戦しています。