日本龍紹介

香港日本人ドラゴンボート倶楽部、通称「日本龍」の歴史は1980年代まで遡ります。

当時、在香港日本国総領事館へ、日本人チームを編成の上、国際大会への参加をしないかとドラゴンボート協会より招待を受けました。この呼びかけに応える形で、毎年領事館が日本人倶楽部の協力の下、商社、金融等、香港在住の日本の主要企業からボランティアを呼びかけ、国際大会前に急造チームを編成し、短期間の練習の後試合に参加してきました。

この流れが変わるのは1989年のことです。この年も例年同様、試合前に短期で作られたチームだったにも関わらず、日本人チームは決勝進出の快挙を成し遂げました。これを機に、このチームが中心となり、翌年の国際大会でさらなる上位入賞をめざして、通年練習を行う常設チームを作るため、日本人倶楽部に同好会の設立を働き掛けました。

同好会の活動は、日本人倶楽部から予算を組んでもらい、まずはドラゴンボートを一艇を購入することから始まりました。さらに、ボランティアメンバーを中心に、取引先などに声をかけチーム作りが始まりました。

最後に残った問IMG_8141題は練習場所でした。設立メンバーは、アバディーン、スタンレーなど香港島の主な湾に脚を運びましたが、場所がなかったり、すでに他のチームで一杯などの理由で、どの場所でも受け入れてもらうことはできませんでした。

途方に暮れたメンバーがタクシーで走っていると、スタンレーから少し離れた場所に小さな漁村を見つけました。その際、日本龍への練習場所の提供を許諾してくれたのが、現在もチームのホームベースであり、練習場所である大潭(タイタム)村です。

1990年、このようにして念願の日本人倶楽部ドラゴンボート同好会の活動が始まりました。それから、20年以上にわたり、香港在住の日本人に中国伝統スポーツ、ドラゴンボートを紹介するだけではなく、ドラゴンボートを通して香港地域社会との交流を念頭に活動を行ってきました。香港における唯一の常設日本人チームとして、香港社会では香港日本龍(ヤップンロン)として、親しまれています。

これまで、のべ700人以上の日本人が所属し、その多くが日本に帰国後も日本各地でドラゴンボートチームを作り、日本でのドラゴンボートの立上げ、普及と交流に貢献してきました。

現在では、舟を5艇所有する同好会になり、毎週末練習、各大会に参加し、上位の成績を収めています。

IMG_2228常時、初心者を募集しており、初心者向けの基本練習、体験チームなどどなたでも楽しめるチーム作りをし、メンバー間の交流を深めています。日本人だけではなく、香港日本龍で漕いでみたいという香港人などの外国人のメンバーも増えております。端午節はスタンレー大会に参戦、他ビクトリアハーバーでの国際大会など、年を通して各地の大会に参加しています。

日本龍はこれからも、ドラゴンボートを通して香港における日本人社会、香港地域社会との交流と発展に貢献していきます。